Michael Praetorius
ミヒャエル・プレトリウス


Praetorius img  1571年に生まれ、1621年に没。ドイツの作曲家、著述家。
 ルター派の牧師の家に生まれる。ツェルプストのラテン語学校に学んだ後、1585年オーデル河畔のフランクフルトで神学を学ぶ。彼の音楽家としての道が開けたのは、偶然にも同地聖母教会のオルガニストの職が与えられてからのことである。その後ハインリヒ・ユリウス候の保護を得、グレーニンゲン、ヴォルフェンビュッテルの宮廷オルガニストの職を経て、1604年同地の宮廷楽長に就任、以後ずっとそこに留まり幅広い作曲活動を行った。しかしその間に赴いたレーゲンスブルクやプラハへの旅行により当時プラハで活躍していたハンス・レオ・ハスラー、デ・モンテ、ガルスなどの音楽から、またプラハと関係の深いイタリア、特にヴェネツィア楽派の巨匠ジョバンニ・ガブリエリの音楽から、通奏低音つきの協奏風の作曲様式やリトルネロの形式、オブリガートなソロ声部の用法、色彩豊かな複合唱の技法などを取り入れた。そして、ヴァルターの流れを引く北ドイツプロテスタントの伝統的なコラール・モテトの様式にこれを同化させ、17世紀初期ドイツの最も優れたプロテスタント作曲家となった。特にコラール編曲の発展に尽くした彼の業績は偉大である。
 また1615〜19年に書かれた「音楽大全 Syntagma musicum」3巻は、最も古い音楽百科事典で、第1部はラテン語とギリシャ語による古代以降の宗教作品の種類と歴史に関する説明、オルガノグラフィアと題された第2部はバロック初期の楽器の種類、演奏法、特徴などに関するドイツ語の説明と図解で、特にオルガンに関する記述は詳しく、それに従い1621年南ドイツのフライブルクの大学にプレトリウス・オルガンが建造された。第3部は楽語辞典で、当時の作曲法、楽曲の演奏形態および記譜法について詳しく記されている。




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