Andrea Gabrieli
アンドレア・ガブリエリ
1510年頃ヴェネチアに生まれ、1586年に同地で没したイタリアの作曲家、オルガン奏者。ヴェネチア楽派の創立者と言われるヴィラールトの弟子。青年時代にボヘミア、ライン地方を旅行したと伝えられている。特に1562年にドイツ、ベーメン地方を旅行してラッススをはじめ、その他の偉大な作曲家と知り合う機会を得た。1566年にクラウディオ・メールロの後継者として、ヴェネチアのサン・マルコ大聖堂の第2オルガニストとなり、1585年には第1オルガニストに就任した。作曲家としての彼の名声は、ヴェネチア市が彼に1571年のレパントの戦いの勝利や、1574年のフランス王アンリ三世のヴェネチア市訪問に際して、祝典音楽の作曲を依頼したことによって高まっていった。彼の弟子には甥のジョヴァンニ・ガブリエリや、ドイツのハンス・レオ・ハスラーがいる。
アンドレアは当時のイタリア音楽のあらゆる種類、すなわち多声歌曲のマドリガルや宗教楽のミサ、モテト、器楽用のカンツォーナ、リチェルカーレ、ファンタジアなどを作曲した。彼の重要な業績は多声様式の手法にある。師のヴィラールトが用いた、2つまたはそれ以上のコーラスによる均等な編成の分割合唱を、彼は音響や音色の点で多様な色彩豊かなものとした。その結果、彼の作品にはコーラスの急速な交代、強弱による反復の手法(エコー効果)、豊かな対照、ぶつかり合うリズム、自由な不協和音の処理などがヴィラールトには見られなかった特色として現れている。またオルガン作品における功績も著しい。彼は自由で即興的な手法のイントナツィオーネを作曲したほか、オルガンのためのリチェルカーレやファンタジアでは17世紀の大オルガン奏者フレスコバルディが出るはるか以前に、単一主題によるフーガを目指している。この革新は明らかに、フレスコバルディやスヴェーリンクのオルガン様式への道を開拓し、甥のジョヴァンニ・ガブリエリ、ハンス・レオ・ハスラー、ハインリヒ・シュッツらの後継者の作品に認められる進歩的傾向を予知するものである。
図はアンドレア・ガブリエリの「 Libro primo de madrigalia a 3 」(1575)のタイトルページ。
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